2013年01月15日
それは自分ではないから
何かを支えにして生きてきたと思う。
何かの為、誰かの為。
時として、それが自分に力を与えてくれたし、だからこそ頑張れたんだと思う。
だから、その何かを失ったり、誰かを失った時にまるで生きる為の目的を失ってしまったかのように感じてしまう。
一体今までの努力はなんだったんだ?
これから一体何の為に頑張れば良いんだ?って・・・・。
良くある話です。
あまりに良くありすぎるほどにありふれた話だけど、でも、やっぱり自分がそうなればそのようになってしまうんですよね。
別にそうなるのは悪い事じゃないんだけど、けど、悲劇の主人公になってしまうんですよね。
だけどね、これだけは覚えていないと。
どんな時も悲劇の主人公はいないという事。
というか、悲劇という事はどこにも存在していないって言う事。
それはね、全部自分の心が作り出したものなんだ。
伝わるかな?
それは現実じゃないよ。
現実は確かに現実で存在している。それとそれが悲劇であるかどうかって言うのは実は全然別の問題なんだって言う事。
これが本当の事。それはロジックでも捉える事が出来る。ロジックで捉えられるって事は、別に精神論でもなければオカルトな話でもないってことだ。
感情も自分じゃないんだ。
それはあくまで心の動きであって、言うなれば、自分の脳が考えだした事で、それを更に言えば、脳は自分の脳かもしれないけども、それは自分じゃないから。自分の一部でいいけど、自分じゃない。
自分じゃないそれが作り出したもので、自分のように感じても良いけど、それは決して自分じゃないんだよね。
って伝わるかな?
自分じゃないものを自分だって思うからこその苦しみであり悲しみであったりするし、それをそう感じたが為に自分じゃないものを自分と思う感覚があるのだと思う。それは是非ではなくて、ただそうですよって。
何かを失ったのなら、それを失った、という事。それだけなんだよね.
そして僕たちはそれに対して感情を持つんだ。そこに持つ感情は自分が選択しているってこと。悲しければ、その出来事をトリガーにして悲しいと感じている。
もうちょっと言えば、そう感じたいからそう感じているだけであって、出来事が悲しいのではないんだよね、出来事を悲しいと感じるという選択をしているって事。
だから、実は選択肢があるのだからその選択肢は変えられるんだよね。実際に変えてきているでしょ?
これって伝わるかな??
だからね、どんなに悲しくても、どんなに苦しくてもね、やってらんねぇよって、そんな思いがあってもね、目の前にある事とその思いは実は関係ないから。それがそうだって思っているとね、その思いの原因が外にある事になっちゃうから、だから外の事柄に対しての警戒になるんだよね。
もう傷つきたくないから、だからもうこういう事はしないでおこう。人と距離を置こう、とか。
別にそれはそれで全然良いんです。
たとえそれが見当違いであったとしても、それをしてはいけないんてそんなことを言える人は誰もいませんし。だって、それは価値観でしかなくて、それは人それぞれの話なんで、だから、間違いなんてないんだよ、って事もね、本当にロジカルな話なんですよ。
むしろね、間違いなんてないって言うけど実際はそうじゃないだろ、あるやろ!!っていうの感情論なので、そこにロジックってなかったりします。
気が付くと笑っちゃいます。(笑
で、もちろん、そう思うのが良いとか悪いという話ではありません。ただそうなんだよね、って話なんですけどね。
辛い時、悲しい時、胸が痛くなりますよね?
だからそんなときは、そっとそこに手を当ててください。そして、ちょっとだけこんな事を思ってみてください。
自分が苦しいのではない。今、自分の胸が苦しいのだ、と。
思考がマイナスになって、そんな考え方をしている自分を責めたくなった時に、そうやってグルグルしている時、ちょっとだけこんな事を思ってみてください。
自分がそう考えているのではない。今、自分の頭が好き好んでそう考えているのだ、と。
マイナスから抜け出す為の第一歩です。
←ここをクリックするとランキングも今の場所から抜け出すんです。
何かの為、誰かの為。
時として、それが自分に力を与えてくれたし、だからこそ頑張れたんだと思う。
だから、その何かを失ったり、誰かを失った時にまるで生きる為の目的を失ってしまったかのように感じてしまう。
一体今までの努力はなんだったんだ?
これから一体何の為に頑張れば良いんだ?って・・・・。
良くある話です。
あまりに良くありすぎるほどにありふれた話だけど、でも、やっぱり自分がそうなればそのようになってしまうんですよね。
別にそうなるのは悪い事じゃないんだけど、けど、悲劇の主人公になってしまうんですよね。
だけどね、これだけは覚えていないと。
どんな時も悲劇の主人公はいないという事。
というか、悲劇という事はどこにも存在していないって言う事。
それはね、全部自分の心が作り出したものなんだ。
伝わるかな?
それは現実じゃないよ。
現実は確かに現実で存在している。それとそれが悲劇であるかどうかって言うのは実は全然別の問題なんだって言う事。
これが本当の事。それはロジックでも捉える事が出来る。ロジックで捉えられるって事は、別に精神論でもなければオカルトな話でもないってことだ。
感情も自分じゃないんだ。
それはあくまで心の動きであって、言うなれば、自分の脳が考えだした事で、それを更に言えば、脳は自分の脳かもしれないけども、それは自分じゃないから。自分の一部でいいけど、自分じゃない。
自分じゃないそれが作り出したもので、自分のように感じても良いけど、それは決して自分じゃないんだよね。
って伝わるかな?
自分じゃないものを自分だって思うからこその苦しみであり悲しみであったりするし、それをそう感じたが為に自分じゃないものを自分と思う感覚があるのだと思う。それは是非ではなくて、ただそうですよって。
何かを失ったのなら、それを失った、という事。それだけなんだよね.
そして僕たちはそれに対して感情を持つんだ。そこに持つ感情は自分が選択しているってこと。悲しければ、その出来事をトリガーにして悲しいと感じている。
もうちょっと言えば、そう感じたいからそう感じているだけであって、出来事が悲しいのではないんだよね、出来事を悲しいと感じるという選択をしているって事。
だから、実は選択肢があるのだからその選択肢は変えられるんだよね。実際に変えてきているでしょ?
これって伝わるかな??
だからね、どんなに悲しくても、どんなに苦しくてもね、やってらんねぇよって、そんな思いがあってもね、目の前にある事とその思いは実は関係ないから。それがそうだって思っているとね、その思いの原因が外にある事になっちゃうから、だから外の事柄に対しての警戒になるんだよね。
もう傷つきたくないから、だからもうこういう事はしないでおこう。人と距離を置こう、とか。
別にそれはそれで全然良いんです。
たとえそれが見当違いであったとしても、それをしてはいけないんてそんなことを言える人は誰もいませんし。だって、それは価値観でしかなくて、それは人それぞれの話なんで、だから、間違いなんてないんだよ、って事もね、本当にロジカルな話なんですよ。
むしろね、間違いなんてないって言うけど実際はそうじゃないだろ、あるやろ!!っていうの感情論なので、そこにロジックってなかったりします。
気が付くと笑っちゃいます。(笑
で、もちろん、そう思うのが良いとか悪いという話ではありません。ただそうなんだよね、って話なんですけどね。
辛い時、悲しい時、胸が痛くなりますよね?
だからそんなときは、そっとそこに手を当ててください。そして、ちょっとだけこんな事を思ってみてください。
自分が苦しいのではない。今、自分の胸が苦しいのだ、と。
思考がマイナスになって、そんな考え方をしている自分を責めたくなった時に、そうやってグルグルしている時、ちょっとだけこんな事を思ってみてください。
自分がそう考えているのではない。今、自分の頭が好き好んでそう考えているのだ、と。
マイナスから抜け出す為の第一歩です。
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Posted by アド山 at 22:07│Comments(0)
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