2013年01月22日
恩着せがましい
せっかく作ったんだから食べてよ。
一生懸命に作ったんだからさ、なんか言う事あるでしょ?
とか言いません?
僕も言いたくなる事たくさんありました。
言ったと思うし。。。
恩着せがましいとはまさにこの事。
え?一生懸命に作ったんだから、そう思うのは当然じゃないって??
うん、だからそれを恩着せがましいと言っているんだよね。
相手の反応がどうだからとかそういう事じゃなくて、その自分の反応の奥底にはそういう思いが隠れているって事。
その思いがなければそんな事多分思わないよね。
良いとか悪いとかそういう話じゃないよ。
そう思うのが悪いとか、当然じゃない(良い)とか、そういう判断をしちゃっていたらそのグルグルから抜け出れないからね、それは一回脇に置いてしまおうか。
一生懸命に作ったんだから、なんか想像と違う反応が来ちゃったら、ちゃんと食べてもらえなかったり、食べても何の反応もなかったりとかあるけど、だからそれでその相手の反応を見てそれはないだろうって相手を責めてしまうけど、だけどさ、相手がその思いを受け止めなくちゃいけない理由ってなんだろ?
そうしてくれたから凄く嬉しいってのはよく分かるんだけど、もちろんそうでないからもやもやしちゃうのも分かるんだけど、だけどさ、結局の所、相手の反応とその料理に込めた自分の思いは実は無関係なんだよね。
そんなじゃやる気でないですわ。
もう料理作る気がしない。もう作らない。
でも良いと思いますよ。
だけどさ、普通に感じてるこういう思いってさ、受け取る側以上に身勝手だと思うんだよね。
だってさ、食べる側のリアクションを決めちゃっていて、それ以外は受け付けないって事じゃない?
そうじゃないって?
よ〜く感じて。
それが悪いだなんて事は言わないよ。良いも悪いもないもん。
ただ、それはすなわちそういう事だよねって話。分かるかな?
結局の所、自分はこうしたんだから、だから食べる側はこういう反応をして欲しくて、で、その欲しい事とは対極に近い反応をされちゃったんで怒っている訳。
で、言いたいのは、良いとか悪いとかじゃなくて、その怒りって本当はなくていいんだよね、って事で。
怒るなって事じゃないの。
元々怒る様な事じゃないよねって事。それを踏まえて、でも私は怒るっていうんだったらそれでいいんじゃない、って思う。
怒ってハッピーになるんだったらどんどん怒れば良いと思うしね。
じゃ、何いわれても我慢しなさいって事?って多分思うんだよね。
我慢しろとも言っていないんだよね。我慢なんかしたって、自分がハッピーでなければ何の意味もないから。
元々が、怒るもなければ我慢するも何もないんだよって事なんだよね。
言いたい事はそれだけ。
僕はねこう思うんだ。
作ってあげたいから作った。それで完結なんだ。
だから、相手の反応に期待するでもなくて、だって、それに期待する事は悪い事じゃないんだけど、期待通りの反応を得られなかったらそうの料理に込めた思いは成就しないって、勝手に自分で決めちゃっているんだよね。
下手すると、期待通りの反応、美味しかったとか、ありがとうとか、それを貰って当然ってな事にもなりかねない。
僕はそんな思いの料理ならいらない。もちろん、作る人がどんな思いで作っているかは分からないけどね、でも、もし万が一そういう事が分かる様な事があるんであれば、僕はそんな思い上がりの料理なんか食べたくないと思う。
だから、僕は自分が食べたくない様な物を自分が作ろうとは思わない。
気持ちとして考えるとね、料理を作るのとプレゼントを買うのは似ていると思う。
プレゼントってさ、贈るその人の事を考えて買うじゃない?
それを選んでいる時間、それを買う瞬間がとても嬉しいんだよね。だってさ、ただ物を買うだけのなのに、その人の存在がそこにもの凄い幸福感をくれたんだよ?
もうさ、それだけで実は凄く幸福なんだって事。
それを受け取ってもらって喜んでもらえたらまたそれも本当に嬉しいよね。でも、ひょっとしたら受け取ってもらえないかもしれないし、受け取っても喜んでもらえないかもしれない。でも、それはもう自分の手を離れた事であって、言葉は悪く聞こえちゃうけど、どうでも良い事なんだよね。
それをしている時の幸福感。それが本当の幸福かもしれないよ?
相手のリアクションを求めるって事は、いましている事を飛び越えて、その先の未来に飛んでいっちゃっているんだよね。しかも都合よく。
相手のリアクションがどうにも納得いかないって時はさ、実は、そういう事を教えてくれているのかもしれないよ?
え?相手がそんな事が出来るはずがないじゃないって?
これはとっておきの話。
自分に起きる事は全部自分のストーリー。それも全部自分が作り出している。そして、自分には自分のストーリーの世界しか存在しないんだ。
目の前のその人はね、自分のストーリーの為に、その人自身は気付いていないんだけど、自分のストーリーの中の役を見事に演じているんだ。信じても良いし、信じなくても良い。真実はそれを超えた所にあるからね。
だからね、良くいうじゃない。
やるべき事をやりきった時に奇跡は起きるよって。
だからさ、いましている事に集中してみようよ。
自分が美味しいと思う物を、自分が食べたい、食べさせてみたい物を、ただそれだけを思って、それは今にちゃんといるって事ね、作ってみてごらん。いらん事は考えるなって事じゃないよ。
それは楽しもうって事。
いましている事を楽しんでいる時って、今、の事しか考えていないよね、って事は分かるでしょ?
だからね、楽しんでいる人は最強なんだ。
そして、きっと楽しんで料理をする人は、その後の事はあまり気にしないのかもしれないね。
だから、いつまでも料理を作るのが楽しくってしょうがないのかもしれないね。
もちろんそれが良い、そうすべきだって話じゃないよ。
どっちでも選べますよ。
さて、今日の料理はどんな気持ちで何を作ります?
僕は、やっぱり楽しみたいな。
こんな物が出来ちゃいましたっ!!みたいなね。
では、どうぞお召し上がりください。
←ここを押してもらって当たり前だと思わない事ですよね。だからこそ押して欲しいんです。。。
2かいのおじさん・料理教室@まるやの台所
日時:2013年2月24日(日)
時間:11:00~14:30
料金:お一人様¥3000
毎月定例のマルヤガーデンズさん地階「まるやの台所」でのおじさんの料理教室です。
この料理教室はおじさんのデモの後、実際に皆さんでその料理を作って頂く参加型の料理教室です。
毎回3品を予定していますが、楽しいですよ~。
お問い合わせは、マルヤガーデンズさん、099-813-8108、にお願いします。
ふるってご参加ください!!
一生懸命に作ったんだからさ、なんか言う事あるでしょ?
とか言いません?
僕も言いたくなる事たくさんありました。
言ったと思うし。。。
恩着せがましいとはまさにこの事。
え?一生懸命に作ったんだから、そう思うのは当然じゃないって??
うん、だからそれを恩着せがましいと言っているんだよね。
相手の反応がどうだからとかそういう事じゃなくて、その自分の反応の奥底にはそういう思いが隠れているって事。
その思いがなければそんな事多分思わないよね。
良いとか悪いとかそういう話じゃないよ。
そう思うのが悪いとか、当然じゃない(良い)とか、そういう判断をしちゃっていたらそのグルグルから抜け出れないからね、それは一回脇に置いてしまおうか。
一生懸命に作ったんだから、なんか想像と違う反応が来ちゃったら、ちゃんと食べてもらえなかったり、食べても何の反応もなかったりとかあるけど、だからそれでその相手の反応を見てそれはないだろうって相手を責めてしまうけど、だけどさ、相手がその思いを受け止めなくちゃいけない理由ってなんだろ?
そうしてくれたから凄く嬉しいってのはよく分かるんだけど、もちろんそうでないからもやもやしちゃうのも分かるんだけど、だけどさ、結局の所、相手の反応とその料理に込めた自分の思いは実は無関係なんだよね。
そんなじゃやる気でないですわ。
もう料理作る気がしない。もう作らない。
でも良いと思いますよ。
だけどさ、普通に感じてるこういう思いってさ、受け取る側以上に身勝手だと思うんだよね。
だってさ、食べる側のリアクションを決めちゃっていて、それ以外は受け付けないって事じゃない?
そうじゃないって?
よ〜く感じて。
それが悪いだなんて事は言わないよ。良いも悪いもないもん。
ただ、それはすなわちそういう事だよねって話。分かるかな?
結局の所、自分はこうしたんだから、だから食べる側はこういう反応をして欲しくて、で、その欲しい事とは対極に近い反応をされちゃったんで怒っている訳。
で、言いたいのは、良いとか悪いとかじゃなくて、その怒りって本当はなくていいんだよね、って事で。
怒るなって事じゃないの。
元々怒る様な事じゃないよねって事。それを踏まえて、でも私は怒るっていうんだったらそれでいいんじゃない、って思う。
怒ってハッピーになるんだったらどんどん怒れば良いと思うしね。
じゃ、何いわれても我慢しなさいって事?って多分思うんだよね。
我慢しろとも言っていないんだよね。我慢なんかしたって、自分がハッピーでなければ何の意味もないから。
元々が、怒るもなければ我慢するも何もないんだよって事なんだよね。
言いたい事はそれだけ。
僕はねこう思うんだ。
作ってあげたいから作った。それで完結なんだ。
だから、相手の反応に期待するでもなくて、だって、それに期待する事は悪い事じゃないんだけど、期待通りの反応を得られなかったらそうの料理に込めた思いは成就しないって、勝手に自分で決めちゃっているんだよね。
下手すると、期待通りの反応、美味しかったとか、ありがとうとか、それを貰って当然ってな事にもなりかねない。
僕はそんな思いの料理ならいらない。もちろん、作る人がどんな思いで作っているかは分からないけどね、でも、もし万が一そういう事が分かる様な事があるんであれば、僕はそんな思い上がりの料理なんか食べたくないと思う。
だから、僕は自分が食べたくない様な物を自分が作ろうとは思わない。
気持ちとして考えるとね、料理を作るのとプレゼントを買うのは似ていると思う。
プレゼントってさ、贈るその人の事を考えて買うじゃない?
それを選んでいる時間、それを買う瞬間がとても嬉しいんだよね。だってさ、ただ物を買うだけのなのに、その人の存在がそこにもの凄い幸福感をくれたんだよ?
もうさ、それだけで実は凄く幸福なんだって事。
それを受け取ってもらって喜んでもらえたらまたそれも本当に嬉しいよね。でも、ひょっとしたら受け取ってもらえないかもしれないし、受け取っても喜んでもらえないかもしれない。でも、それはもう自分の手を離れた事であって、言葉は悪く聞こえちゃうけど、どうでも良い事なんだよね。
それをしている時の幸福感。それが本当の幸福かもしれないよ?
相手のリアクションを求めるって事は、いましている事を飛び越えて、その先の未来に飛んでいっちゃっているんだよね。しかも都合よく。
相手のリアクションがどうにも納得いかないって時はさ、実は、そういう事を教えてくれているのかもしれないよ?
え?相手がそんな事が出来るはずがないじゃないって?
これはとっておきの話。
自分に起きる事は全部自分のストーリー。それも全部自分が作り出している。そして、自分には自分のストーリーの世界しか存在しないんだ。
目の前のその人はね、自分のストーリーの為に、その人自身は気付いていないんだけど、自分のストーリーの中の役を見事に演じているんだ。信じても良いし、信じなくても良い。真実はそれを超えた所にあるからね。
だからね、良くいうじゃない。
やるべき事をやりきった時に奇跡は起きるよって。
だからさ、いましている事に集中してみようよ。
自分が美味しいと思う物を、自分が食べたい、食べさせてみたい物を、ただそれだけを思って、それは今にちゃんといるって事ね、作ってみてごらん。いらん事は考えるなって事じゃないよ。
それは楽しもうって事。
いましている事を楽しんでいる時って、今、の事しか考えていないよね、って事は分かるでしょ?
だからね、楽しんでいる人は最強なんだ。
そして、きっと楽しんで料理をする人は、その後の事はあまり気にしないのかもしれないね。
だから、いつまでも料理を作るのが楽しくってしょうがないのかもしれないね。
もちろんそれが良い、そうすべきだって話じゃないよ。
どっちでも選べますよ。
さて、今日の料理はどんな気持ちで何を作ります?
僕は、やっぱり楽しみたいな。
こんな物が出来ちゃいましたっ!!みたいなね。
では、どうぞお召し上がりください。
←ここを押してもらって当たり前だと思わない事ですよね。だからこそ押して欲しいんです。。。
2かいのおじさん・料理教室@まるやの台所
日時:2013年2月24日(日)
時間:11:00~14:30
料金:お一人様¥3000
毎月定例のマルヤガーデンズさん地階「まるやの台所」でのおじさんの料理教室です。
この料理教室はおじさんのデモの後、実際に皆さんでその料理を作って頂く参加型の料理教室です。
毎回3品を予定していますが、楽しいですよ~。
お問い合わせは、マルヤガーデンズさん、099-813-8108、にお願いします。
ふるってご参加ください!!
Posted by アド山 at 00:15│Comments(0)
│エッセイ
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