2013年04月09日
ピンチはチャンス!!
どうなるか分からない。
そこに道筋が見えない。
それをだいたい行き詰まりと人は言う。
どうなるか分からないという事は、どのようにでもなる、という事。
道筋が見えないという事は、どのようにでも出来る、という事。
どうなるか分からない。
そこに道筋が見えない。
それこそ、心のままに、自分自身に正直生きるチャンスの到来である。
こうなってくれなきゃ困る。こうなるだろう。
このようにしよう。このようにすべきなんだ。
それこそ、本当に自分のしたい事なんだろうか?
ドン詰まってしまったその時、それは自分自身に正直に生きなさいというサインなのかもしれない。
自分の中のピカピカ光る物を追いかけなさい。そんなメッセージなのかもしれない。
だって、そうしなければどれだけメッセージを送ったって、従属の中から抜け出ないんだから。抜け出したいって思っているのにね。
ピンチはチャンスだ。
というか、人生にはチャンスしかない。
それをどのように評価しているだけかって話だ。
間違いなんてない。
というか、自分の選択は全部その時の選択のベストなんだ。
それをどのように評価しているだけかって話だ。
人はみんな先を見ようとする。
予測する。
それは悪い事ではないけれども、その能力によって自分自身の足枷をわざわざ作り出している。
それが自分でわざわざ作り出した足枷だと気が付かずに、それは自分でしか外せないという事に気が付かず、何かのせいにしたり、しょうがないよって言葉とともに、自分自身で自分を蔑んでこんなかわいそうな自分を演出して・・・・。
ピンチはチャンス。
こんなに分かり易い局面はそうはない。
行き詰まったときは、すべてがフラットになる。
それは将来の予測不能であり、予測出来ないって事はフラットであるという事である。
予測出来るからその予測に寄り添おうとしているだけなんだから。
だけど、本当は、いついかなるときも僕たちが立つ場所はフラットなんだ。
そう思えないけど。
だから、行き詰まる、という時を与えてくれる。
思い込みを捨てて、自分が心からしたいと思う事に全力を尽くしなさい、と。
だって、そうするしかないでしょ?って。
だからバシャールはこう言う。
自分のワクワクに従いなさい、と。
そのワクワクこそが従うべきものであり、唯一存在する〜べきであり、それに従う事は自分に従う事であり、自分自身を自分に取り戻す瞬間でもある。
従うは、自分自身のワクワクだよ。
だって、その方が楽しいじゃない。
今まで通りで道が開けないのなら、なんだってやってみれば良い。
どうせやるなら、楽しい方が良いでしょ?
だから、僕たちは自分の中にワクワクを持っているんだよ。
ワクワクを見据えてみよう。
見据えるって事は、腹を括るってことさ。
腹を括るって事は、人のせいにしないてことさ。
人のせいにしないって事は、自分の人生に責任を持つってことさ。
それは、何かをするって事じゃない。
腹を括って、自分のワクワクをしっかりと見据えて、自分自身で道を切り開いていく事。
それをきっと冒険って言うんだろうね。
引かれたレールの上を歩いているように感じていても、そこにレールなんか存在しない。
レールの上を進んでいるって思っている人も、やっぱりそれも道なき道を歩んでいる。
それに気が付くか気が付かないか、それだけの話。
冒険していない人は何処にもいない。ただ、それが冒険その物であったという事に気が付いていないだけ。たったそれだけ。
冒険の旅に出る勇気なんかないよって・・・・、自分には冒険は無理だって・・・
うん、だって、もうしているから。冒険していないから冒険に出かけるのであって、冒険している人は冒険には出かけられないよ。
そういう事さ。
大丈夫。
どんな時も、上手くいっている時も、上手く言っていない時も、どんな時も、いまこの瞬間はフラットだから。
この瞬間からすべて始まるから。
だって、どんな時も、この瞬間しか存在していないから。
自分を信じて、自分のワクワクと共に進んでみよう。
何度でも何度でもやり直す事が出来るんだよ。
いまこの瞬間がスタートです。どんな時もねっ!
←スタートついでにこれを記念に押していってください。。
そこに道筋が見えない。
それをだいたい行き詰まりと人は言う。
どうなるか分からないという事は、どのようにでもなる、という事。
道筋が見えないという事は、どのようにでも出来る、という事。
どうなるか分からない。
そこに道筋が見えない。
それこそ、心のままに、自分自身に正直生きるチャンスの到来である。
こうなってくれなきゃ困る。こうなるだろう。
このようにしよう。このようにすべきなんだ。
それこそ、本当に自分のしたい事なんだろうか?
ドン詰まってしまったその時、それは自分自身に正直に生きなさいというサインなのかもしれない。
自分の中のピカピカ光る物を追いかけなさい。そんなメッセージなのかもしれない。
だって、そうしなければどれだけメッセージを送ったって、従属の中から抜け出ないんだから。抜け出したいって思っているのにね。
ピンチはチャンスだ。
というか、人生にはチャンスしかない。
それをどのように評価しているだけかって話だ。
間違いなんてない。
というか、自分の選択は全部その時の選択のベストなんだ。
それをどのように評価しているだけかって話だ。
人はみんな先を見ようとする。
予測する。
それは悪い事ではないけれども、その能力によって自分自身の足枷をわざわざ作り出している。
それが自分でわざわざ作り出した足枷だと気が付かずに、それは自分でしか外せないという事に気が付かず、何かのせいにしたり、しょうがないよって言葉とともに、自分自身で自分を蔑んでこんなかわいそうな自分を演出して・・・・。
ピンチはチャンス。
こんなに分かり易い局面はそうはない。
行き詰まったときは、すべてがフラットになる。
それは将来の予測不能であり、予測出来ないって事はフラットであるという事である。
予測出来るからその予測に寄り添おうとしているだけなんだから。
だけど、本当は、いついかなるときも僕たちが立つ場所はフラットなんだ。
そう思えないけど。
だから、行き詰まる、という時を与えてくれる。
思い込みを捨てて、自分が心からしたいと思う事に全力を尽くしなさい、と。
だって、そうするしかないでしょ?って。
だからバシャールはこう言う。
自分のワクワクに従いなさい、と。
そのワクワクこそが従うべきものであり、唯一存在する〜べきであり、それに従う事は自分に従う事であり、自分自身を自分に取り戻す瞬間でもある。
従うは、自分自身のワクワクだよ。
だって、その方が楽しいじゃない。
今まで通りで道が開けないのなら、なんだってやってみれば良い。
どうせやるなら、楽しい方が良いでしょ?
だから、僕たちは自分の中にワクワクを持っているんだよ。
ワクワクを見据えてみよう。
見据えるって事は、腹を括るってことさ。
腹を括るって事は、人のせいにしないてことさ。
人のせいにしないって事は、自分の人生に責任を持つってことさ。
それは、何かをするって事じゃない。
腹を括って、自分のワクワクをしっかりと見据えて、自分自身で道を切り開いていく事。
それをきっと冒険って言うんだろうね。
引かれたレールの上を歩いているように感じていても、そこにレールなんか存在しない。
レールの上を進んでいるって思っている人も、やっぱりそれも道なき道を歩んでいる。
それに気が付くか気が付かないか、それだけの話。
冒険していない人は何処にもいない。ただ、それが冒険その物であったという事に気が付いていないだけ。たったそれだけ。
冒険の旅に出る勇気なんかないよって・・・・、自分には冒険は無理だって・・・
うん、だって、もうしているから。冒険していないから冒険に出かけるのであって、冒険している人は冒険には出かけられないよ。
そういう事さ。
大丈夫。
どんな時も、上手くいっている時も、上手く言っていない時も、どんな時も、いまこの瞬間はフラットだから。
この瞬間からすべて始まるから。
だって、どんな時も、この瞬間しか存在していないから。
自分を信じて、自分のワクワクと共に進んでみよう。
何度でも何度でもやり直す事が出来るんだよ。
いまこの瞬間がスタートです。どんな時もねっ!
←スタートついでにこれを記念に押していってください。。
Posted by アド山 at 01:54│Comments(0)
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