水の如く

アド山

2012年10月17日 04:48

ちょいとまじめに。

水の如くありたいと思う。

水は弱い。
簡単にすくわれるし、目の前にあるそれは何も出来ない。
ただあるだけでしかない。

四角い容器ですくえば、それは四角になり、丸い容器ですくえば、それは丸になる。


だけど、水はどこまでもただ水である。
四角くなろうが、丸くなろうが、それは明らかに水なんだ。
それ自体を変える事なんか出来やしない。


水はただどこまでも水である。


0度以下になれば凍る。熱を加えればお湯となり蒸発する。ほっといても蒸発するが。
状態は変われど、やっぱり水はどこまでもいっても水である。

誰もその本質を変える事などできない。
水はただ水として、誰からの干渉をも受けず、ただ水であり続ける。

形じゃない、状態じゃない。
水は、ただ水である。



水は一切の抵抗をしない。
水は、水であろうともしない。
ただ水は水である。

それ故に、何の干渉をも受けないのかもしれない。
だから、それでいいのだ。
水はただ水である。
それを変えられるものなどどこにも存在出来ない。


すなわち


水は最強である。

強いとはなんだろう?
他に干渉する事ではない。それによる優劣ではない。それは強さではない。それは価値観だ。

強いとは

他の干渉に変えられないことを言うのではないのだろうか?


強い人とは?
何があっても、そのままのその人でいられる人のことを言うのだろう。
今の所、これは僕の価値観だ。

あるがままに、ありのままに。
そう、その水のように。


そして、それはなるものじゃないんだ。
最初からみんなそうなんだよね。

水がただ水であるように、みんな、それぞれに自分なんだよね。
ただそれだけのことなのにね。


四角くても、丸くても、凍っていても、熱くても、その本質はどこまでも一緒なんだ。
そうじゃないって思うけど。
そうじゃないって思う僕たちと、何も思わない水の違いはなんだろう?
思うが故に僕たちは弱いのかもしれない。その弱いっていうのも一つの価値観でしかないんだけど。

言葉では伝えられない領域って言うのが確かにある。

だからなんだと思う。
だから、思い出したいんだなって思う。


何があっても、何が起きても、水の如し。

リラックスして生きましょう!!


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