水の如く
ちょいとまじめに。
水の如くありたいと思う。
水は弱い。
簡単にすくわれるし、目の前にあるそれは何も出来ない。
ただあるだけでしかない。
四角い容器ですくえば、それは四角になり、丸い容器ですくえば、それは丸になる。
だけど、水はどこまでもただ水である。
四角くなろうが、丸くなろうが、それは明らかに水なんだ。
それ自体を変える事なんか出来やしない。
水はただどこまでも水である。
0度以下になれば凍る。熱を加えればお湯となり蒸発する。ほっといても蒸発するが。
状態は変われど、やっぱり水はどこまでもいっても水である。
誰もその本質を変える事などできない。
水はただ水として、誰からの干渉をも受けず、ただ水であり続ける。
形じゃない、状態じゃない。
水は、ただ水である。
水は一切の抵抗をしない。
水は、水であろうともしない。
ただ水は水である。
それ故に、何の干渉をも受けないのかもしれない。
だから、それでいいのだ。
水はただ水である。
それを変えられるものなどどこにも存在出来ない。
すなわち
水は最強である。
強いとはなんだろう?
他に干渉する事ではない。それによる優劣ではない。それは強さではない。それは価値観だ。
強いとは
他の干渉に変えられないことを言うのではないのだろうか?
強い人とは?
何があっても、そのままのその人でいられる人のことを言うのだろう。
今の所、これは僕の価値観だ。
あるがままに、ありのままに。
そう、その水のように。
そして、それはなるものじゃないんだ。
最初からみんなそうなんだよね。
水がただ水であるように、みんな、それぞれに自分なんだよね。
ただそれだけのことなのにね。
四角くても、丸くても、凍っていても、熱くても、その本質はどこまでも一緒なんだ。
そうじゃないって思うけど。
そうじゃないって思う僕たちと、何も思わない水の違いはなんだろう?
思うが故に僕たちは弱いのかもしれない。その弱いっていうのも一つの価値観でしかないんだけど。
言葉では伝えられない領域って言うのが確かにある。
だからなんだと思う。
だから、思い出したいんだなって思う。
何があっても、何が起きても、水の如し。
リラックスして生きましょう!!
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