思考は忙しいんですっ!!

アド山

2013年04月18日 21:15

きっとこれはこうなんだろうな。
それはきっとこういう風になる。
それはさ、良い事なんじゃないの。
もっとこうしたら良いのに。
これをするんだったら、こうしなきゃ。
どうしてこれが出来ないの。
これがあるから安心だ。
これがないってのはちょっと問題だよ。
あれが欲しければ、これするしかないでしょ。
こうしているからダメなんだよ
こうしなきゃ、もっともっとこれをやっていかなきゃ・・・



忙しいの、頭の中は基本的に。


そしてそれに振り回されます。




頭の中にある事はいってしまえば幻想です。
勝手に思っている事です。
目の前の事とは関係のない事が大半です。



頭の中で考える事は、悩む事は、好む好まない等を飛び越えて必ず割れた鏡のようにまとまりがありません。
それが思考というものです。そうなるものなのです。
だから、思考に振り回されるのは当たり前の事なんです。だって、それが思考の持つ性質であり、それは逃れる事のないものだからです。

だから、振り回される事は悪い事でも何でもないんです。当たり前の事が当たり前に起こっているだけですから。


でも、振り回しているそれに振り回されていて、もしそれがお手上げであるのであるならば、そしてそうなる以外に選択肢がないと思ってどうする事も出来ないと思うのであれば・・・・


そうではないですよ。^^


どんな時でも選択肢はあります。

思考は未来を予測しては僕たちに警告を与えます。
そんな事をしていては、大変な事になるぞ、と。


いつの間にか、思考で作られた物語、その枠の中にぎっちりとガチガチに閉じ込められます。


そうしなければならないって事に対して、何の疑問も抱かなくなります。

それは、そう思い込んでいるからです。心の余裕を奪う事に思考が成功したからです。

ちょっと違う言い方をすれば、思考を中心に据えると、そのようになります。
思考と自分を同一視している状態です。


でも、思考は思考であって、自分その物ではありません。
なぜならば、自分はその思考を眺める事が出来るからです。
眺める事が出来る以上は、思考は自分そのものではない事に気が付きます。
でも、巻き込まれている時は、思考が自分その物になっています。



優しさも、思いやりも、感謝の気持ちも、元々そこにあるものが見えなくなる理由は、その思考と自分を同一化するからです。

それがデフォルトだからこそ、優しさや、思いやりや、感謝の気持ちなどの素晴らしさが、その同一化が取れる瞬間に浮かび上がるんですけどね。




色々と考えて頭が混乱したり、何やらどん詰ってしまっているなぁ、と思った時は、ちょっと深呼吸して。
思考というものを特に意識する必要はないかもしれないけれども、今の混乱の中にいる必要もないという事です。
その混乱を一歩引いて眺める事が出来ます。
混乱していても良いのです。それは思考が持つ一つの働きですから、それはある意味正常な状態です。ただ、その混乱した状態しか存在しない、そうであるしかないと言うのであれば、それは違うと言う事です。
なぜなら、その混乱をもたらす思考はあくまで自分の思考であって自分ではないからです。
その事にふと気が付けば、その混乱を眺める自分に気が付きます。
そのとき初めて冷静な自分にも気が付けます。
電波を飛ばせば、その全ての思考のどれも自分ではなくて、その思考が浮かぶそのベースみたいなものが本当の自分です。でもいってしまえば、それもどうでもいい事なんですけどね。。

冷静に事に対処するってのは、感情や思考と同化するのではなくて、感情から一歩引いた所に自分の目線を持ってくるという事です。
思考を否定するのでもなく、それを眺める感覚です。
冷静である、という事は、そのような状態になっているという事です。
様々な思考のどれにも巻き込まれていないという事です。
あとは有効な思考を使うだけです。


思考に巻き込まれるか、それとも一歩引いてそれを使うか。

今ある混乱から抜けるのは一瞬です。
思考を眺めたその瞬間に、思考と自分の同一化は終わります。
同一化が終われば混乱はそこで終了します。
何かの結果を得る、というのは、混乱から抜け出る手段ではないのです。思考はそのように言いますけどね。


火事場で生き残るのは
冷静であるか、一か八かで腹を括るか、です。
混乱しているだけでは、そこで焼け死んでしまいます。

もちろん、誰かに助けてもらっても良いんですけどね。





誰かに向けたメッセージかもしれませんが

大事な事は、頭の中にある事は、そこで考えている事は真実ではない、という事です。
あくまで予想であり、願望であり、存在していないものです。
それに巻き込まれているだけです。巻き込まれている時はそれが真実だと思いますが、それは巻き込まれているが故です。
元々は、真実でも何でもないという事です。
でも、到底そうは思えないはずです。それは、思考が自分だという勘違いをしているからです。
では、思考を眺めて、それが自分ではないと勘違いが取れれば、問題は解決するのと言えば、問題だと思っているその事態は何も変わりません。問題は、事態が起こしているのではないからです。



問題があると感じた時に、一体何が問題なのかって事を「徹底的に」自分に問いかけるのも一つの手です。

思考に巻き込まれて混乱したままでは、悪戯に苦しみが増すばかりです。

大丈夫。
自分の人生を信じるんです。

それは、自分に都合のいい事が起きる事を期待するのではありません。
起こる事を信じる、それはつまり、「我に七難八苦を与えたまえ」と腹を括る事でもあります。

なんだか大層な事に聞こえますが(笑)、なんてこはない、「矢でも鉄砲でも持って来いってんだ、コンチクショウめ!!」って事です。
腹を括るが最強説を唱えていきたいと思います。(笑


←明日の仕込みで一杯一杯な僕ですが、ここをぽちってして頂けるとなお一層頑張れます!!

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