2012年05月04日
空の写真
何気に空を見上げることが多くなりました。

雲一つない快晴、気持ちよく雲が浮かぶとき、雲に覆われて全く青空が見えないとき、雨が降るとき、嵐のようなとき・・・。
けどね、どんなときだって、青空はそこに存在しているんです。どこにも行ってはいやしない。
その事知っていました?

改めて言われてもねぇ・・・、って思うことなんですけどね、だけどね、どこまでも澄んだ青空って言うやつは最初の最初っからそこにあるんですよ。どんな天気であろうとも。
そして、青空って言うけど、空の色って知ってます?

無色透明なんです。
無色透明であるが故に、すべての色を映し出すことができる。そして、すべての色が混ざると無色になるって言われたりしますよね。だから、無色はすべての色なんですよね。
日中は胸が空くようなあおさを、そして夕方には郷愁を誘うようなオレンジ色を、そしてやがて漆黒の闇へとかわっていきます。

けど、空の色は相変わらず無色透明なんです。
その時をそのままに鮮明にあるがままに反映しているだけ。
そんな空が最近本当に大好きで。
こんなちっぽけな自分だけど、時に悩み苦しみ、喜び浮かれて、その時その時の自分の色を表現している。
そして、その感情に飲み込まれちゃうことがほとんどなんだけど、ふと気が付く時があるんですよ。ああ、自分はそれをいまここで表現してるだけなんだな、って。
それ以上でもそれ以下でもない。
そんな時は、自分がこの空と実は同じような存在なんじゃないかって思えるんですよね。

分厚い雲に覆われた空は不安そのものです。けどね、どれだけ分厚い雲で覆われたってその雲の向こう側にはいつだって必ず青空があるんですよ。
どんなに嵐が吹き荒れたって、やっぱりその先には同じように青空があるんですよ。
見えないからそうでないように思うけど、真実はそれです。青空はいつだってどんな時だってその先に存在しているし、その存在がなくなることはない。
空の真実は青空です。雲はかかるけれど、それはやがて去っていきます。生じては滅するもの。それが雲です。そして、永遠の存在として何も変わらずにそこに存在するもの、それが青空です。
そんな分厚い雲がその光を遮ろうとも、必ずその雲は去っていきます。
「それもやがて過ぎ去る」

自分の本質を青空とすれば、雲は自分の思考であり、感情です。
だから思い起こせば、人生の中では快晴ばかりではなく、むしろ嵐の用に激しく、時には悲しく、押しつぶされそうな時が多かったように思います。けどね、その気持ち、ずっとそのまま持ち越してるなんてないでしょ?
その気持ちの時は、それがずっと続くんじゃないかって、この胸の苦しみから解放される時がないんじゃないかって、そんな気になります。けどさ、今までそんな思いをしたことはあったと思うけど、解放されなかったことなんてないでしょ?
晴れない空はないんですよ。
そして、青空がなくなってしまったこともないんですよ。
その雲(感情)は絶対に「それもやがて過ぎ去る」のみです。それが生じて滅する諸行無常の掟です。
ここしばらくの福音のような空を見上げながら、そんなことを思ったのでした。

←あまりの気持ちのいい天気に涙を流したことは内緒です。。

雲一つない快晴、気持ちよく雲が浮かぶとき、雲に覆われて全く青空が見えないとき、雨が降るとき、嵐のようなとき・・・。
けどね、どんなときだって、青空はそこに存在しているんです。どこにも行ってはいやしない。
その事知っていました?

改めて言われてもねぇ・・・、って思うことなんですけどね、だけどね、どこまでも澄んだ青空って言うやつは最初の最初っからそこにあるんですよ。どんな天気であろうとも。
そして、青空って言うけど、空の色って知ってます?

無色透明なんです。
無色透明であるが故に、すべての色を映し出すことができる。そして、すべての色が混ざると無色になるって言われたりしますよね。だから、無色はすべての色なんですよね。
日中は胸が空くようなあおさを、そして夕方には郷愁を誘うようなオレンジ色を、そしてやがて漆黒の闇へとかわっていきます。

けど、空の色は相変わらず無色透明なんです。
その時をそのままに鮮明にあるがままに反映しているだけ。
そんな空が最近本当に大好きで。
こんなちっぽけな自分だけど、時に悩み苦しみ、喜び浮かれて、その時その時の自分の色を表現している。
そして、その感情に飲み込まれちゃうことがほとんどなんだけど、ふと気が付く時があるんですよ。ああ、自分はそれをいまここで表現してるだけなんだな、って。
それ以上でもそれ以下でもない。
そんな時は、自分がこの空と実は同じような存在なんじゃないかって思えるんですよね。

分厚い雲に覆われた空は不安そのものです。けどね、どれだけ分厚い雲で覆われたってその雲の向こう側にはいつだって必ず青空があるんですよ。
どんなに嵐が吹き荒れたって、やっぱりその先には同じように青空があるんですよ。
見えないからそうでないように思うけど、真実はそれです。青空はいつだってどんな時だってその先に存在しているし、その存在がなくなることはない。
空の真実は青空です。雲はかかるけれど、それはやがて去っていきます。生じては滅するもの。それが雲です。そして、永遠の存在として何も変わらずにそこに存在するもの、それが青空です。
そんな分厚い雲がその光を遮ろうとも、必ずその雲は去っていきます。
「それもやがて過ぎ去る」

自分の本質を青空とすれば、雲は自分の思考であり、感情です。
だから思い起こせば、人生の中では快晴ばかりではなく、むしろ嵐の用に激しく、時には悲しく、押しつぶされそうな時が多かったように思います。けどね、その気持ち、ずっとそのまま持ち越してるなんてないでしょ?
その気持ちの時は、それがずっと続くんじゃないかって、この胸の苦しみから解放される時がないんじゃないかって、そんな気になります。けどさ、今までそんな思いをしたことはあったと思うけど、解放されなかったことなんてないでしょ?
晴れない空はないんですよ。
そして、青空がなくなってしまったこともないんですよ。
その雲(感情)は絶対に「それもやがて過ぎ去る」のみです。それが生じて滅する諸行無常の掟です。
ここしばらくの福音のような空を見上げながら、そんなことを思ったのでした。

←あまりの気持ちのいい天気に涙を流したことは内緒です。。