2012年11月23日
「自分」の話
プロフィールやらちょいといじってみました。
これからもいろんな事があるでしょう。
事はどんどんいまここで起きていきます。だから、いまここでそれに一生懸命に対応していく。
〜しなければいけない、はどこにもない。
それを作っても良いし、作らなくても良い。その瞬間の声(?)に従えば良い。
南無阿弥陀仏。
法然さんが唱えたこの言葉の意味は
「私はいない、すべては起こるままに任せます」
自我と言われるものが一番嫌う言葉かも知れません。
だってね、認めちゃったら、自分が頑張れなくなっちゃうから。
だから、どうしてもこうすると人生を諦めるとか、張り合いがなくなってしまうとか、どうしてもマイナスの方向にしか受け取れない。
ちなみに、言葉って言うのは、すべて受け取る側に裁量があります。
僕が発する言葉の真意は僕しか知り様がありません。それを他の人が受け取るとき、その真意をそのままに受け取る事は不可能です。その逆もですね。そのように出来ています。だけど、そうではないと思っています。だから厄介なんですけどね。
「あの人がこう言っていた」
だから、絶対にこれはあり得ないんですよ。
「僕はあの人がこう言ったと聞いた」
という事なんですけどね。
だから、すべては受け取る側が自分の価値観を通してそれを判断します。そして、それを話として理解します。
だから、同じ話でも、感銘を受ける人もいれば、反発する人もいたり。人それぞれ。
どうして人それぞれになるのか、そこに疑問は生じないけれど(汗)、つまりはこういう事だったりします。
そして話を聞いていると思っている私、それがいわゆる自我、だったりするんですけどね。
自分に都合の悪い事は聞きたくないんですよ。価値観的に受け入れられない、とか言う所を少し超えた話かもしれないですね。
だから先の話も、まずはすんなりと受け入れられなかったりします。
さらに、そうした事もないのに、そうなるんじゃないかって。
ちなみに、自我さんはいまここにいながら、いまここにない事に思いを馳せます。それが自我さんの役割なんですけど、そうする事で時間という概念が生まれますので。
ちなみに、ぶっ飛んだ話ですが、時間って奴は実はありません。
あるように見えるだけの話なんですけど、時間というものは存在せずに、時間と呼ばれる概念が存在しています。だから僕たちは時間があると思っています。
相変わらず電波です。
でも、これが本当の事です。
存在するのは、この瞬間のみ。いまここだけです。
一度感覚が入ってくるとよく理解出来るのですが、頭で考えても捉える事は出来ません。
別にあってもなくても、それでも世界は何も変わらないんですが(汗)、ただ、囚われて苦しむのであれば、そんなものいらないんじゃね?って感じで。楽しければ好いんじゃないんですかね。楽しいも苦しいも同じ事なんですけど、苦しいよりは良いですもんね。ただ、必ずセットになっていますけどね!!
ちなみに、イタリアのマックは、基本的にバーガーとポテトとドリンクのセット販売がデフォルトのようです。最初はビックマックが6.1€だから、イタリアマックぱねぇ!!って思っていたんですよね。うん、単品の値段だと思っていた。。。ねぇ、いくらなんでも高すぎるでしょうに、ね。。。セットでの価格になります。
ちなみに、味は・・・・世界のマックですからね。淡い期待は抱かない方が良いようです。イタリアだから、とかね。
そんなこんなで、いまここでない所に思いを馳せ続ける自我さんとしては、南無阿弥陀仏、なんてとんでもない話なんですよね。
だから、僕のこの手の話は基本的に気持ち悪いとか、あの人変だ、とかそういう風になります。
僕もそうでしたからね・・・。
まぁ、これこれこういう理由があるので、そういう風に捉えるのがデフォルトなんですよね、ってな話なんですけどね。
じゃ、何で自我さんはそんなに必死なのかって言えば・・・・
元々自我は存在していないんですよ。
例えば、目の前に今あるものやこの体のように実在して「在る」ものじゃないんですよね。だから、簡単に消えちゃう。ま、消せませんけど。だけど、実像として存在があるものではないので、だから無くされたくはないんですよね。
そう思うともの凄くかわいらしいのですが(苦笑
ただ、本来の役割を超えてしまっているのが実情のようです。
もし世界がおかしい、何かがおかしいと思うのであれば、そういう事であったりします。
ただ、それを思うのも自我なんですけどね。。
実は、料理教室のお知らせの記事を書こうとしてPCをパチパチし始めたのですが、気が付いたらこんな記事に。(汗
そうなんですよ、料理教室をやりますので、次回の記事でお知らせします。
←頭で考えている事は、すべて自我さんです。なのでこう言う事もあまり考えない方が良いようです。
これからもいろんな事があるでしょう。
事はどんどんいまここで起きていきます。だから、いまここでそれに一生懸命に対応していく。
〜しなければいけない、はどこにもない。
それを作っても良いし、作らなくても良い。その瞬間の声(?)に従えば良い。
南無阿弥陀仏。
法然さんが唱えたこの言葉の意味は
「私はいない、すべては起こるままに任せます」
自我と言われるものが一番嫌う言葉かも知れません。
だってね、認めちゃったら、自分が頑張れなくなっちゃうから。
だから、どうしてもこうすると人生を諦めるとか、張り合いがなくなってしまうとか、どうしてもマイナスの方向にしか受け取れない。
ちなみに、言葉って言うのは、すべて受け取る側に裁量があります。
僕が発する言葉の真意は僕しか知り様がありません。それを他の人が受け取るとき、その真意をそのままに受け取る事は不可能です。その逆もですね。そのように出来ています。だけど、そうではないと思っています。だから厄介なんですけどね。
「あの人がこう言っていた」
だから、絶対にこれはあり得ないんですよ。
「僕はあの人がこう言ったと聞いた」
という事なんですけどね。
だから、すべては受け取る側が自分の価値観を通してそれを判断します。そして、それを話として理解します。
だから、同じ話でも、感銘を受ける人もいれば、反発する人もいたり。人それぞれ。
どうして人それぞれになるのか、そこに疑問は生じないけれど(汗)、つまりはこういう事だったりします。
そして話を聞いていると思っている私、それがいわゆる自我、だったりするんですけどね。
自分に都合の悪い事は聞きたくないんですよ。価値観的に受け入れられない、とか言う所を少し超えた話かもしれないですね。
だから先の話も、まずはすんなりと受け入れられなかったりします。
さらに、そうした事もないのに、そうなるんじゃないかって。
ちなみに、自我さんはいまここにいながら、いまここにない事に思いを馳せます。それが自我さんの役割なんですけど、そうする事で時間という概念が生まれますので。
ちなみに、ぶっ飛んだ話ですが、時間って奴は実はありません。
あるように見えるだけの話なんですけど、時間というものは存在せずに、時間と呼ばれる概念が存在しています。だから僕たちは時間があると思っています。
相変わらず電波です。
でも、これが本当の事です。
存在するのは、この瞬間のみ。いまここだけです。
一度感覚が入ってくるとよく理解出来るのですが、頭で考えても捉える事は出来ません。
別にあってもなくても、それでも世界は何も変わらないんですが(汗)、ただ、囚われて苦しむのであれば、そんなものいらないんじゃね?って感じで。楽しければ好いんじゃないんですかね。楽しいも苦しいも同じ事なんですけど、苦しいよりは良いですもんね。ただ、必ずセットになっていますけどね!!
ちなみに、イタリアのマックは、基本的にバーガーとポテトとドリンクのセット販売がデフォルトのようです。最初はビックマックが6.1€だから、イタリアマックぱねぇ!!って思っていたんですよね。うん、単品の値段だと思っていた。。。ねぇ、いくらなんでも高すぎるでしょうに、ね。。。セットでの価格になります。
ちなみに、味は・・・・世界のマックですからね。淡い期待は抱かない方が良いようです。イタリアだから、とかね。
そんなこんなで、いまここでない所に思いを馳せ続ける自我さんとしては、南無阿弥陀仏、なんてとんでもない話なんですよね。
だから、僕のこの手の話は基本的に気持ち悪いとか、あの人変だ、とかそういう風になります。
僕もそうでしたからね・・・。
まぁ、これこれこういう理由があるので、そういう風に捉えるのがデフォルトなんですよね、ってな話なんですけどね。
じゃ、何で自我さんはそんなに必死なのかって言えば・・・・
元々自我は存在していないんですよ。
例えば、目の前に今あるものやこの体のように実在して「在る」ものじゃないんですよね。だから、簡単に消えちゃう。ま、消せませんけど。だけど、実像として存在があるものではないので、だから無くされたくはないんですよね。
そう思うともの凄くかわいらしいのですが(苦笑
ただ、本来の役割を超えてしまっているのが実情のようです。
もし世界がおかしい、何かがおかしいと思うのであれば、そういう事であったりします。
ただ、それを思うのも自我なんですけどね。。
実は、料理教室のお知らせの記事を書こうとしてPCをパチパチし始めたのですが、気が付いたらこんな記事に。(汗
そうなんですよ、料理教室をやりますので、次回の記事でお知らせします。
←頭で考えている事は、すべて自我さんです。なのでこう言う事もあまり考えない方が良いようです。
Posted by アド山 at 15:43│Comments(0)
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