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Posted by チェスト at

2012年11月15日

リヴォルノへ

スージーがニュージーランドへ帰るその日、スージーをエンポリまで見送って、その後すっかり少なくなったWWOOFerとリヴォルノへ。

相変わらず適当なヒヤリングしな出来ないんですが
「hfgvbrvふっgっvklhdゔぉlv・hv、一緒に来る?」(←こんな感じww

ニコルに言われたら、それは即答で「Yes!!」になった訳ですが、どこに行くかも分からずにお供しているおいらって素敵。。



ただついて来たジャポネーゼを含めての5名様ご一行。

明らかに夏のいでたちのキャンシー。僕にはどう見ても寒いです。見ているだけで寒いです。本人は大丈夫だからこの格好です。。
ジャストな感じのキャリー。
そして後ろ姿も美しいニコル。
バックパッカーなスージー。

一番後ろからふと冷静に見た時に、何とも面白い組み合わせのご一行ではないかとふと思った物ですから、ぱちり、と。

さらに、この辺ではとんと見慣れないアジアンまで含んでますからね。。


ponte a elsaまで30分ほど歩いて、列車でエンポリへ。

ちなみに、ponte a elsaは完全な無人駅なんですよね。チケットも売ってないんですよ・・・。
エンポリまで5分くらいですよ、無賃乗車。多分これがデフォルトのようです。無賃乗車がデフォルトって素敵。。

なんだけど、もしエンポリと逆方向のシエナ方面にいく時はどうなるんだろ???

と疑問に思わぬ事は無いですが、そう言う時がくれば自然と分かるでしょう、ってことでね。


今回のステイでは、明らかに僕たちのお母さんだったスージー。ありがとね。
年齢的には僕がお父さんなんだけど、今回もお父さんは不在でしたね。。。


なんだろ?

なんだかんだで、すっかり若返ってしまた気がするのは僕だけかもしれませんが、あれですね、年齢って案外たいした意味は無い物ですね。年上だからとか、年下だからとか、何歳だからとか・・・、それとその人は何の関係もないんですよね。
ただ、年齢はその人自体には意味がありますよ、多分。
だって、それを経て今のその人がある訳ですからね。でもね、それだけの話なんですよね。
それと、その自分がどうあって何をするのかって言うのはまた別の話なんだよなぁ、って・・。

COSIMOでは上下も無いし、ただ仲間なんですよ。
やれる事をやっていくし、そしてそれはただそれなだけで。
こんなだから偉い、とか、こんなだからよろしくない、よか、年上だからこうしなきゃ、とかそんなんどうでも良い事です。

ただ自分であれば良い。
そして、その自分が出来る事を、したい事をやっていけば良い。
ただそれだけだったりしますもんね。

どうでも良い話ですが、ちなみに、僕は27歳だと思われてました。。。

そんな見た目27歳のアド山がお送りいたしています当ブログ。
なぜか時間切れとなりまして、また更新したいと思います。


←みんな英語しゃべるの早すぎるっていってんでしょーがっ!!聴き取れねーよっ!!  

Posted by アド山 at 22:56Comments(0)イタリア滞在記

2012年11月15日

するのは誰?

「自我」さんがいる。
自分を自分だと認識しているそれですね。それが在るが故に自分が自分だと認識出来るんですけどね・・・。

自我さんは、頑張っている。

いろんな事を自分でしていると思っているし、こんな自分ではだめだ、自分には足りない物がいっぱい在る、だからもっともっと頑張らないと・・・・と、エールを送ってくるし、
何気に満足感を覚えても、あの人と比べてごらん、全然努力が足りないよ。ほら、こっちよりもあっちの方が良いでしょ?って、ずっと満足感を与えてくれない。
そして、たくさんの、〜すべき、を与えてくれる・・・。

そんな自我さんはなぜ頑張るのか?
多分、そうしていないと死んでしまうのだ。
だから、ほんの一瞬も休まる事無く働き続けている。


自我が死ぬ時は、肉体が「死」という物を迎えたとき。
この時に宿る肉体を失った時、その自我も消滅する。


だけど、生きながらにして死ぬ時が在る。

「私はいない」という体験。

そこに自我は存在しない。だから自分がいなくなる。すなわち、自我の消滅・・・自我の「死」でもある。





だけどね・・・・



自我が消滅したその瞬間も世界はそのままに、あるがままに存在している。
ま、すぐに自我さんは帰ってきますけどねっ!


そしてその時に気が付くんだ。

すべては勝手に起こっているって事を。


自分がしている、って言うのは「自我」がもたらす幻想だったってこと。
だって、私は消えても、世界はそのままに存在を続けているんだから。だから、自分が何かをしているって言うのは幻想以外の何者でもない。


ハイヤーセルフ、って在るじゃないですか?
僕はあっても無くても良いと思うんですけど、これが在るとすると感覚的に分かり易かった。

起こる事は、する事はすべてハイヤーセルフさんの仕事です。
それは自我さんの仕事ではありません。でもそうしているから何かとこんがらがって来るようです。
ハイヤーさんに任せてしまった方が良いようです。サレンダー、と言われる状態です。

自我さんには自我さんの仕事があります。自我さんはエネルギー使いですから、それに専念してもらった方が良い様なんです。

ハイヤーさんと自我さんの二人三脚、まさに仏と私。
それは分離じゃないかとか思ったりしない事は無いのですが、理解としては何となく分かり易い気がしたんですが、いかがな物でしょうか?

何にしても、するのは私ではありません。



←ハイヤーさんって書くと、白い手袋しているってイメージですよね・・・。  

Posted by アド山 at 06:19Comments(0)気付いた事