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Posted by チェスト at

2012年11月29日

正解は・・・・

さてさて、昨日のおとうさん。
一体どれが本当のこの人かというと・・・、




どれも違います。。。



かいしゃいんとか、かちょうさんとか、そしておとうさんも全部この人そのものではなくて、言ってしまえば役であったり、肩書きであったり、そういう物でしかありません。
もうちょっと言えば、この人はただこの人です。それだけです。
さらに言えば、肩書きを全部とってしまっても、この人がこの人でなくなる事はありません。




全部肩書きみたいなもんです。レッテルとか言う言い方でも良いかもしれませんけど。


ちなみにこの人はベッテルですけど・・・・(大汗

それと自分自身とは実は無関係です。
だって、レッテルですから。貼ってあるだけですから。
だから、実際に簡単にはがれますし、中にはそれは剥がれんだろうって思うのもありますけど、でも剥がせます。
だって、レッテルであって、自分自身ではないですから。

あっ、無理に剥がさなくていいんですよ。
剥がしたら剥がしたで面倒くさい事も多いですから。。。

けどね、困った事に、この単なるレッテルを、剥がしちゃいけない物だとか、もしくはそれ自体を自分自身だと勘違いしちゃったりして苦しんだりとか、そういう事ってあるんですよ。
剥がすの剥がさないのはそれこそ自由なんですけど、だけど、元々そういう物だからね、だから囚われちゃっていたらそれに気が付いちゃいましょうか、ってな話だったりします。

ちなみに、剥がせないとすれば、そのべったりと張り付いた糊の事を「恐れ」と言います。
恐れがあれば、絶対に剥がす事ができません。苦しんでいるのに、です。
恐れは、自分自身を信じられぬが故に発生するようです。逆に、自分を信じている人には、レッテルはレッテルに過ぎないので、剥がそうが貼ろうが、別に大きな問題ではなくなるようです。


糊がべったりと付いた物を無理に剥がすのはとても難しいです。
だけど、自分自身を信じる、という事が腑に落ちた時、そこに恐れという糊はなくなりますから、無理に剥がすまでもなく簡単に剥がれます。
別に、かいしゃいんでなければいけないなんて事もないですし、かちょうさんでなければ、なんて事もないですし、おとうさんであってもなくても良い訳です。最後は反感買いそうですけどね。。
けど、言ってしまえばそういう事です。
もし、そのレッテルに、何か拘りがあるのだとすれば、それはその人の価値観の話だったりします。
それは、その人にとってどうかというだけの話であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
その人の世界の話ですから、その人がすべて決めれば良いのです。

ただ、一般論的に言えばこう言う事です。

レッテルはレッテルであって、それは自分ではありません。

さらにもう一つ深く言えば

レッテルごときで自分の価値は決まらない

という事です。

そして、そのレッテルは、簡単に剥がせます、という事です。


同じレッテルでも、価値を重く置けば剥がせなくなります。価値を見いださなかったら簡単に剥がれます。それは自分次第です。
そして、自分自身という価値よりも価値のあるレッテルはこの世に存在はしていません。
ただ、そういう価値を自分自身で与えてしまう事は・・・・、それは可能です。


←今回はすらすらと書けました。少し酔っている方が何かと良いようです、僕はね。。。  

Posted by アド山 at 22:00Comments(0)気付いた事